大みそかから年明けにかけては、多くのお寺で108回の除夜の鐘が鳴らされます。
この108回は煩悩の数という話は有名ですが、具体的にはどんな種類があるのかをご存知ですか?
今回は煩悩とはそもそも何なのか、その種類や内容についてご紹介します。
目次
煩悩とは?
煩悩(ぼんのう)は、仏教の教義の一つで心の汚れを意味しているものです。
昔から人の身心を乱して悩ませるものとして、仏教では苦しみの原因こそが自らの煩悩だととらえられてきたのです。
多くの宗派でその苦しみや悩みから開放されるために、煩悩とは何なのか研究し克服するための解説が求められました。
煩悩の数は通俗的には108個ですが、実際は約8万4千もの煩悩が存在すると言われています。
108個の煩悩のうち、その種類は大きく10個に分類されると言われています。
次にその10種類の煩悩の種類と内容を見ていきましょう。
煩悩にはどんな種類があるの?
それでは、煩悩にはどんな種類があるのでしょうか?
それぞれの意味も合わせてご紹介いたします。
・貪
好きなものに対しての激しい欲求を意味しています。
自分の自慢話をしたり、何かに執着をすることが欲を制止できなくなる原因になると説いています。
・眞
眞は物事に怒ったり、やきもちを焼いたりすることです。
人との仲が良くないことや、窃盗、生き物に何らかの危害を与えるなどもこちらの煩悩に分類されます。
・痴
痴は物事を信じないことや、感じている負い目を隠すことなど、真実から目を逸らそうとすることを意味しています。
・慢
誰かと自分をくらべて自分の方が優れているとおごったり、自分が正しいと思い込むことなどを意味しています。
・疑
物事を信じずにあえて逆さまに見ようとすること、嘘や冗談を繰り返し言うことを意味しています。
・見
真実を見極める目を持たないこと。
誤っている考えを正しいと思い込んでしまうなど、見る目がなく妄信的なことを意味しています。
・辺執見(へんじっけん)
極端に善か悪か、白か黒にしか分けることができない思考のことを言います。
・邪見
自分の行動に対して、いずれ自分自身に帰ってくるのを知らないことは、愚かであると意味しています。
身勝手で相手をおさえつけようとしたり、相手の気持ちをふみにじって偉そうな態度をとることはよくないとの教えです。
・有身見(うしんけん)
自分の体は自分自身のものであり、確かにそこに存在しているという実感です。
仏教においてはこの実感はあくまで錯覚であるとされています。
人は仏の教えのとおり「私は存在しないのだ」と実感をすると、有身見はなくなり「無常」「無我」の智慧を得られると言われています。
<まとめ>
人は食欲や性欲などの欲によって、感情が大きく動かされ悩みや苦しみが生まれると考えられています。
仏教において最終的にたどりつくのは苦しみから解放された「無」です。
ダイエットをしたいのに甘いものがやめられない…自分より優れている人間が妬ましい…などの感情も煩悩の一つです。
除夜の鐘はこのような煩悩をリセットして、清らかな気持ちで新年を迎えるためのもの。
悪いことをせず、良いことを重ね、自分の心を清らかに保つことで浄土への道が開けると説いているのです。