仏教の一つの宗派である浄土宗は、開祖である法然が亡くなった後それぞれの念仏への解釈や唱え方について、考えが違う人々で複数の宗派に分かれていきました。
そんな枝分かれした宗派の一つが「時宗(じしゅう)」です。
今回は、時宗とはどんな宗教なのか、またお墓にはどんな特徴があるのかをご紹介いたします。
時宗(じしゅう)の開祖について
時宗は鎌倉時代に生まれた浄土宗の宗派の一つです。
開祖は一遍(いっぺん)で、神奈川県藤沢市の「清浄光寺(遊行寺)」が総本山。
阿弥陀仏がご本尊で、「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えることで、極楽浄土へ旅立つことができるという教えを最も大切にしています。
また、時宗の開祖である一遍が南無阿弥陀仏と唱えながら、全国各地(岩手から九州大隈)までを歩いたことから、遊行宗(ゆぎょうしゅう)」と呼ばれることもあり、総本山にある遊行寺の名前の由来であると言われてきました。
また、一遍自身も全国を巡った僧侶であることから、「遊行上人」と呼ばれていたと記録されています。
今では時宗の寺院数は全国で約400と数が少ないですが、室町時代までは全国的にも勢力が大きい宗教だったため、全国津々浦々で遊行をしている僧侶を見ることができました。
そのため、戦が絶えなかった南北朝の動乱の時期は、従軍僧として戦に赴いていたほど。
室町文化が生み出されたのは、時宗の僧侶たちの活躍も大きかったと言われています。
時宗の修行と教えについて
時宗の開祖一遍は、浄土真宗の開祖である親鸞の「阿弥陀仏を信じて念仏を唱えた時に初めて極楽浄土に往生できる」という考えに対して、さらに「信仰の有無を問わずに南無阿弥陀仏佛と唱えれば、極楽浄土に旅立つことができる」と説きました。
これを「他力念仏」と言い、極楽浄土での往生を強く望んだ一遍は生涯「南無阿弥陀佛決定往生六十万人」と書いた「名号札」を人々に配り続けました。
また、一遍はお盆祭りで私たちが踊る盆踊りの元を作った人物としても有名。
鉢を打ち鳴らしながら「南無阿弥陀佛」と唱える「踊り念仏」の継承者であった一遍は、
この踊り念仏を行いながら全国を遊行したのです。
一遍の姿を見た人々の間で爆発的な広がりを見せた踊り念仏は、徐々に変化してお盆になると人々が踊る盆踊りの元になったと言われているのです。
時宗のお墓について
時宗のお墓は浄土真宗のものとほとんど違いがありません。
そのため、幹石の部分に「南無阿弥陀佛」と彫刻されることが多く、家名はそれよりも一段下の部分に入るのが一般的なデザイン。
また、最近では和型だけでなく洋型やデザイン型も人気で、念仏ではなく好きな言葉やイラストを彫刻される方も増えてきました。
<まとめ>
時宗は浄土宗から枝分かれした宗派の一つで、ただ念仏を唱えることが極楽浄土へと旅立てると教えを説きました。
人の善悪や外見に問わず、南無阿弥陀仏と唱えることが往生になるという、「他力念仏」が時宗の特徴。
また、今ではお寺の数が少ないものの、かつて室町時代にかけては国を動かすほど大きな宗派として栄えた歴史ある宗教だったのです。