こんにちは。工事部の公平です。
今回は臨済宗、「見龍寺」様をご紹介します。
当社が長年にわたり区画造成工事に携わってきましたが、造成するたびに申込みされる方が多く造成した区画の空きがないのが実情です。22代 山路良一住職の宗派にこだわらず、御先祖が他宗派の方もお気軽にお尋ねください。という気さくなお人柄もあるんですよね!
見龍寺のあらまし
涌谷町の市街地からほど近い、田園風景を望む小高い丘にある見龍寺。老木に囲まれた清閑な境内には、本堂と涌谷伊達家の墓所があり、郷土の歴史にふれる観光地にもなっています。見龍寺は臨済宗妙心寺派の禅宗で本堂は入り口が左側にある古い様式を残しています。
天正19年(1591)亘理重宗が涌谷の領主になった時に、中興開山し、円同寺と称していました。寛文11年(1671)年の寛文事件(伊達騒動)で死去した涌谷第4代、館主、伊達安芸宗重を葬り、その戒名(見龍院徳翁収澤大居士)をとって見龍寺と改めました。本尊は如意輪観世音で、仏師・安慶の手によるものと伝えられています。本殿には、本尊の左右に伊達安芸重宗以降の涌谷城主とその夫人の位牌が安置されています。
文化財などの見どころも多彩な境内!
見龍寺の境内の一角にある見龍廟は涌谷伊達家の4代目以降が眠る、涌谷地区最古の木造建築。廟内の堂の周囲には霊屋や歴代当主の墓石等が立ち並んでいます。御門入口の石造五重塔、水盤、盥石とともに宮城県重要文化財であり、それらの史跡を眺め歩きながら、のどかなひと時を過ごす方も多く見られます。
<まとめ>
正面階段両脇に区画造成した墓地は町営墓地同様、墓石を建立されていない方が多いので申し込みの問い合わせが多いんですが空きがないんですね。しかしゼロではありません。小規模ながら昨年、見龍廟脇に6尺×7尺の墓地を6区画造成し1区画空いています。その他数か所、付帯工事が必要な場所もありますが、いつでも現地をご案内できますので、ぜひお声掛けくださいね!
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