こんにちは。総務課の佐藤です。
今月はお盆(盂蘭盆会)の月で、御先祖様が帰ってくる時期です。家族揃ってご先祖様を迎えて思い出話をしてみてはいかがですか。
仏壇やお墓参りの時には、お念仏 『南無阿弥陀仏』を称えてみてくださいね。
法然上人とはどんな人
浄土宗の宗祖で、源空(げんくう)上人ともいいます。
崇徳帝の長承二年(1133)4月7日 美作国久米南条稲岡庄(現在 岡山県久米郡久米南町)に誕生され、幼名を勢至丸(せいしまる)と名付けられました。
15歳の春、叔父の紹介で岡山県から京都の比叡山に登り修業をしました。それまでの仏教は、出家して戒律を守り、厳しい修行をしなければ助からない教えと思われていましたが、法然上人は誰でも修し易く平等に極楽往生することができるというお念仏の教えをした方です。
お歌『極楽も かくやあるらん あらたのし はや参らばや 南無阿弥陀仏
このお歌は、法然上人が晩年弾圧を受け讃岐(愛媛県)へ配流された時に流刑地へ向かう途中、人々の温かいもてなしを受けて、詠まれたお歌です。
京都を出発し、途中の瀬戸内海に浮かぶ塩飽島で遠近から集まった者たちに、これからは自分の修行も、どなたかに伝える教えもすべてお念仏一筋になさって下さいと述べ、共々にお念仏を称えたということです。そこでこのお歌が詠まれたと言われています。
「意訳」
極楽もこんなところであるのだろう。
ああ楽しいことだ。
一刻も早く極楽浄土に参りたいものだ。
南無阿弥陀仏
<まとめ>
法然上人は、極楽浄土はお念仏のご縁をいただいた方々と再び出会う楽を得られる世界であるとお示しになっておられますので、いつの日か極楽に参るその時まで、この世において共々にお念仏の功徳を重ねて参り阿弥陀さまに救われたいものですね。
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